Interview | 043限目「小野里寛子」学
好きなことを仕事に 留学で新しい自分を見つけた女性に学んでみた
更新日:2016年11月24日
Lecture
小野里寛子 Hiroko Onozato
留学エージェントEnglish Bird 代表
~情熱を身にまとい、自分の人生を生きよう~
1981年生まれ 群馬県出身
子供の頃から“働く”ことに興味があり、好きなことを仕事にするという思いが強かった。高校卒業後、東京の専門学校に進み、ファッション関係の会社に就職。将来を模索しながら様々なプロジェクトにチャレンジし、29歳で夢だった仕事に就く。10年後の未来を考えて会社を辞め、フィリピン留学を経て帰国し、帰国後は福岡に魅力を感じ移住。現在は福岡を拠点にEnglish Birdの代表として留学エージェント(留学を使った英語上達や自己実現の個別コンサルティング)をしている。
今回取材させていただいたのは、魅力あふれる笑顔でお話をしてくださった小野里さん。好きなことを仕事にするまでの道のりと、小野里さん自身が留学を通して感じたことなど、多くのことを学べる学問となっています。043限目「小野里 寛子」学に迫りたいと思います。
関連URL:http://www.englishbird.net/
20代は経験
―学生時代はどんな学生でしたか?
私は、英語やファッション、雑誌、いろんなものに心が惹かれるタイプでした。そのうえ新しいことをするのが好きで、『好きなことを仕事にしたい!』って考えを小さい頃から持っていたんです。小学生の頃からそのような思いがあり、進学先は大学ではなく服飾デザインの専門学校に進学しました。基礎から学ぶために、洋服を“つくる”コースを選び、デザインとかパターンとかを勉強して洋服を製作することを勉強したんですが、それが本当に苦手で、3年間苦労しました。その頃になって『私がやりたい!と思っていたのは、広報の仕事だったんだ!』って気付いたんです。ファッションでも雑誌でも『好き!』って思うきっかけってあるでしょ?そのきっかけをつくるのが広報の仕事なんだなって。
―憧れの「広報」の仕事。叶えるまでにどんなキャリアを選ばれたんですか?
卒業したあと、そのまま洋服の会社に就職したのですが、そこで広報の仕事ができないとわかり目標を見失ってしまったんです。ですが、気持ちの整理をつけることでモチベーションを保っていました。20代にとことん販売などの現場を経験して、20代後半から30代でその経験を生かし、好きなことを仕事にできるようにやろう!って決心して、3回くらい転職しました。なかには収入が安定した職に就いたこともあったんですけど、その会社も“自分のやりたいことができる場所”ではなかったです。そんな時に好きなことを仕事にできている方たちに会い、日中は会社で働きながら仕事を手伝わせてもらうようになりました。
―広報のお仕事を実際にやってみてどう感じましたか?
とにかく私の目標にしている、好きなことを仕事にしている方たちと同じ空気をすったり、時間共有したかったりしたので刺激たっぷりの毎日でした。プロジェクトに幾つか参加し、少しずつ海外関係の仕事が現実的になってくる中で、タイミングよく外資系ファッションブランドの広報の仕事の話が舞い込んできたのです。すぐに面接に向かい無事合格。大きい会社だったのですが、二人しかいない広報への配属でした。仕事を教えてもらう時間もないくらい忙しかったのですが、不思議なことにこれまでの専門学校やコツコツやってた仕事の経験が全て役に立ったのです。逆に、今までの経験が欠けていたら、この広報の仕事はできなかったと思います。なので、人生って本当に無駄がないと思いました。点だった経験が線になった時の感動は忘れられません。
好きなことを仕事にする
―好きなことを仕事にできている秘訣を教えてください。
私の場合は、家庭環境が大きいと思います。好きなことをしなさいという両親のもとで育てられたのは、大きな要因ですね。でも人それぞれに個性があるので、すごいとかはないと思っています。好きなことが会社員かもしれないし、起業なのかもしれないし、主婦なのかもしれない。それはわからないですよ。別に起業してるからすごいとかそういうのは全然ないと思うんですよ。例えば、主婦だったら子育をして次の世代のお子さんを育むことだってすごい社会貢献じゃないですか。好きなことを仕事にできている秘訣は、情熱や思いしかないと思っています。
―今後もこの仕事を続けていきますか?
そうですね。この仕事も続けていきたいですし、他にもキャリアカウンセリングなど、今の経験を生かせるようなことができたらいいですね。時代とかも変わってきますし、それに合わせて変わっていくのかなと思います。また、社会貢献活動にも参加していきたいと考えています。やっぱり何のために生まれてきたのかとか思ったときに、自分の人生なんて歴史の中で見たらとても短いわけです。だったら、その次の世代にとってプラスになることをしたいとすごく思います。また、東日本大震災から日本はごまかしがきかない時代になってきたと思うんですよね。社会もそうだと思うんですけど、自分も同じなんです。どこかで自分の未来に目を伏せてたところがあって、現実を見ようと決めました。
自分がどう生きていきたいのかを考える
―留学に行くことになったきっかけは何ですか?
女性の人たちは特に、30代くらいになるとそれまでの10代、20代のようにはいかなくなると思うんですよ。例えば、結婚であったり、子供のことであったり、会社で求められるポジションも変わってきたりだとかいろいろ考えると思います。私もそうでした。その時にちょうど東日本大震災が起きたこともあって、これから日本は変わっていくと思ったんですね。それに合わせて自分も変わらないといけないと思った時に、何が強みになるかと考えました。10年後の日本は国際化すると思います。そこで、とにかく英語だと思いました。テクニックとしての英語だけではなく、コミュニケーションツールとして、日本にはない考え方を学びながら身につける必要があると感じたのがきっかけですね。
―学生に伝えたいことをお願いします。
自分がどう生きていきたいのかを考えながら可能性にチャレンジしてみてほしいと思っています。今は時代の転換期です。親の価値観や先生の言うことはもう違うと考えていいと思います。なぜなら、時代が全く違うからです。なので、自分の頭でどう生きたいのか考えることがすごく重要です。会社員になることも一つの道としていいと思います。どんな形でも自分軸を持って働くことがすごく重要だと思います。やりたいことがないっていう人も多いですが、絶対あるはずです。ちょっとしたことでも、得意なことでもいいです。実はそこから形になっていくんじゃないかなって思います。
学生さんは、時間もたくさんあると思うので、何でもやってみてほしいですね。そして、好きなことや、やりたいことなどを見つけてほしいです。やりたいことが見つからないという人は、自分のいる環境を変えることをお勧めします。とにかく環境を変えることです。海外に行くと価値観の違いを知ることができ、いい経験もできると思います。
043限目「小野里寛子」学
Presented by 今学びたい100人の学問
編集後記
小野里さんのお話しを聞いていてまず、経験の豊富さに驚きました。それと同時に、本当に好きなことを仕事にするという目標のために、無駄な経験などないということを実感しました。小野里さんも話されていた通り、若いうちは何でもやってみて、多くのこと経験したいと強く思いました。今回は貴重なお話し、ありがとうございました。
2016/6/25
北九州市立大学 豊永耀大
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