Interview | 054限目「藤田逸郎」学
ワーキングホリデーで人生が変わる
更新日:2017年2月6日
Lecture
藤田逸郎 Itsuro Fujita
日本ワーキング・ホリデー協会 福岡オフィスマネージャー
~ワーホリへ行こう!~
1978年生まれ 福岡県出身
3人兄弟の末っ子として生まれ育ち、スポーツに打ち込み、青春時代を過ごす。
大学卒業後すぐに、ワーキングホリデー制度を活用して、オーストラリアへ渡航し留学。“I am surfing”から始まった英語も、基礎から学びなおし、TOEICで850点を取る。
現在は日本ワーキング・ホリデー協会で福岡オフィスマネージャーを務め、留学希望者にアドバイスを送っている。
その一方で、オーストラリアをコンセプトとした、天神・今泉のカフェ&ダイニングバーManly(以下、マンリー)を経営中。
今回のインタビューでは、もともと『勉強よりもスポーツ一筋!』だった藤田さんが、ワーキングホリデーとの出会いで人生が変わったという話を伺ってみました。
ワーキングホリデー制度とは、暮らす・学ぶ・働くを同時に楽しめる留学制度。渡航先で、観光してもいい、勉強してもいい、働いてもいいという、他のビザに比べて非常に自由度が高い制度。さらに詳しい情報は以下で。
一般社団法人日本ワーキング・ホリデー協会HP
関連URL:http://www.jawhm.or.jp/
海外につながるお店
―なぜマンリーを開いたのですか?
もともと、「30歳のときには独立したい」と思っていました。
だから、29歳のとき「自分がやりたいことってなんだろう」と自分の人生の原点に立ち返ってみたんです。
そうすると、自分が変わったのは7年前、オーストラリアに行ったからだという考えにたどり着きました。
オーストラリアにいたときから「海外に行く人のサポートができるような何かをやりたい!」という思いがあって、現地のワーキング・ホリデー協会で、留学サポートをしていました。
しかし、その協会に相談しに来る方は"ワーキングホリデー"や"留学"というキーワードで調べて、うちにたどりついていたんです。
そこで、「もっと留学の間口を広くしたい!」と思って、このマンリーを開きました。
マンリーに来る方が、ふとしたときに「このワーキングホリデーってなんだろう」「こうやって海外に行けるんだ!」という情報に触れることができるように。
そうやって、違った角度から留学にアプローチするため、このマンリーというカフェを始めました。
―ここまでマンリーを経営してみていかがですか?
海外から帰ってきた人たちが、留学体験談を話すために、マンリーに集まってくれるんですよ。
その場には「これから留学に行きたい!」って方もたくさん集まってくれて、そういう交流ができる場所にマンリーがなっています。
また、毎月1回、外国人の方、留学経験者、そしてこれから留学に行きたい人をたくさん呼び、モチベーションが上がるような話をしてもらっています。
改善点は多いですが、自分の目指していた"海外につながるお店"っていうのが、ちょっとずつ形になってきていますね。
自分が変われるんじゃないか
―大学生時代はどう過ごしましたか?
小・中・高ずっとスポーツをやっていました。小学校のときはソフトボール、高校ではサッカーと、スポーツに打ち込んでいましたね。
ずっと体を動かしていることが好きで、勉強は全くしたことありませんでした。
そのころは、将来のことを考えても何をやったらいいか分からなかったので、一応大学には行きました。
でも、大学ではサーフィンにハマってしまいました、モテると思って。
だから大学時代は、遊んで、バイトして、また遊んで、の繰り返しでしたね。
―そんな中で海外に興味を持ったのはなぜですか?
私の父は、いい高校を出て、いい会社に入ってというまさにエリートで、当時は大手の証券会社で働いていました。
また、兄は防衛大学を出ていて、今は防衛省で働いています。
だから、私はすごく劣等感があって、「なんであの人たちだけできるのに、自分だけできないのかな」と悔しく思っていました。
ところが大学3年生のときに、父の働いていた会社が倒産したんですよ。
家計に与える影響を考えたとき、学費の高い私立大学で、私は遊んでばかりだから、お金がもったいないので大学をやめようと思いました。
でも、兄たちが「大学だけは出ておけ」と言って、学費を立て替えてくれたんです。
それを機に将来のことを考え始めましたね。
当時は今と違ってインターネットがなかったので、本を読んで調べていたんですが、そこで"ワーキングホリデー"っていう言葉が出てきて……。
その言葉をキッカケに海外に興味を持ちました。
それまでは一度も海外に行ったことがなかったので、「海外に行ったら、もしかすると自分がすごく変われるんじゃないか」って思ったんです。
それで「ワーキングホリデーに行こう!」と思って、大学卒業と同時にオーストラリアへ行きました。
英語を使って何して働くの?
―海外で変わることはできましたか?
オーストラリアには、ワーキングホリデーの制度で渡航して、計2年間滞在しました。
年間1万人くらいの人が、ワーキングホリデーで海外に行くんですけど、みんながみんな英語を話せるようになるわけではありません。
実は6割くらいの人は、英語を話せるようにならないまま、日本に帰ってきているんですね。
オーストラリアには日本人がたくさんいるので、そのコミュニティの中だけでも生活できますから。
かくいう私は渡航後、英語を全く勉強していなくて……。
もともと「海外の空気を吸えば、英語を話せるようになる」くらいの気持ちで渡航していたので……。
だから案の定、英語を話せるようにはならず、毎日サーフィンやって、バイトやって、またサーフィンやって、とただ“楽しい1年”が過ぎていきました。
自分を変えたいと思って海外に行ったのに、正直、何が変わったのか分からなかったんです。
だから、もう一度しっかり勉強しようと思って、語学学校で1年間英語を勉強しなおしました。
―英語を勉強しなおそうと思ったキッカケは何でしたか?
サッカーチームで仲のよかった私の先輩と、オーストラリアでたまたま出会ったんです。
その方と話をしていて「帰国して何するの?」って聞かれたんです。
そのとき私は「英語を使って働きたいですね」と答えたんですが、「英語を使って、何して働くの?」とさらに質問を重ねられたときに、私はもう何も答えられませんでした。
「じゃあまず自分の英語力を証明するために、テストを受けてみればいいじゃん」って先輩に言われたのでTOEICを受けてみたんです。
そしたら440点しか取れなくて、自分の実力を知り、ショックを受けました。
「ホント何をするためにオーストラリアに来たんだろうな」と思ってから、熱を入れて勉強することを決意しましたね。
―本当にふとしたちょっとした一言がキッカケだったんですね
英語を本当に基礎の基礎から勉強して、結果的に850点を取りました。
普通の方が半年くらいで行ける道を、私は2年くらいかかってしまいました。
でも、その挫折があるからこそ、今、みなさんに色々な留学のアドバイスができるのかなと思いますね。
みなさん英語に対する不安を持っているんですけど、私の体験をお伝えして「やればできる」と伝えています。
例えば、プロ野球チームのレギュラー選手になるのとは違って、英語は100人が勉強すれば100人ともみんな上達します。
これからの時代は英語が必要になると私は思っているので、ワーキングホリデーを1つのキッカケに、英語にチャレンジしてもらえばいいなと思っていますね。
ゴールを作って達成する
―最後に、学生に伝えたいことはなんですか?
ゴールを作ってください。
例えば、海外留学や旅もそうですけど、ゴールを作って行った方がいいです。
「海外にいたときが一番楽しかった」「旅行中が最高だった」という意見を私はよく聞きます。
でもそうではなくて「あのときがあったから、いまがこんなに楽しいんだ」って思える留学や旅にしていただきたいんですね。
私自身、14年前にオーストラリアへ行ったから、いまがあると本当に思っています。
ゴールはなんでも良いんです。
1つのゴールを達成したら、次のゴールが見えてきます。
それを続けていると、常に最高の状態を更新し続けることができるんですね。
これは何でもよくて、海外留学、旅、ワーキングホリデーもそうです、ぜひゴールを作ってそれを達成し、次の経験に役立ててほしいです。
海外は、何歳になっても、行っていいものだと思っています。
大学を卒業したらすぐ就職、という考えだけにとらわれないでください。
いろんなことにとらわれない考え方を持って、行動していただきたいですね。
054限目「藤田逸郎」学
Presented by 今学びたい100人の学問
編集後記
藤田さんはとても紳士な方で、取材中も常に私たちインタビュアーを楽しませてくださり、緊張せずに取材をすることができました。
もともと勉強が苦手だったという藤田さんですが、覚悟を決めて環境を変えたからこそ、TOEICでの高得点や今の藤田さんがあるのではないかなと思いました。
そういった意味では、ワーキングホリデーという制度は非常に魅力的なものだなと思いました。
みなさんも一度はご検討されてはいかがでしょうか?
藤田さん、インタビューさせていただき、ありがとうございました。
2016/09/13
九州大学 金子雄仁
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