今学びたい100人の学問

Interview | 040限「田﨑志織」学

食でキャリアを形成 着物をまとう日本文化を発信する女性に学んでみた

更新日:2016年11月24日

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Lecture

田﨑志織 Shiori Tazaki

伊万里市食のまちづくりアドバイザー
~あなたはすばらしい♡~

1969年生まれ、福岡県出身。
幼い頃から旅行好きな両親とともに九州各地を旅行。卸売業、化粧品会社、営業会社、社長.tv、福岡県中小企業経営者協会を経験後、レシピ開発研究所を個人事業主として起業。 和食を世界に紹介する番組「sazantv」のプロデュースも行っていた。また、伊万里市の「食のまちづくりアドバイザー」として、学生を巻き込んだ中長期実践型インターンシップを通した「食」による地域活性を行っている。

今回インタビューさせていただいたのは、田﨑志織さん。
・和食を世界に紹介する番組sazantv
・伊万里市食のまちづくりアドバイザー
・「食と着物」の地域活性仕掛け人

これらを始めとした数多くの活動をされています。田﨑さんの活動の原点には、どういった想いや哲学があるのでしょうか?040限目の田﨑志織さんに迫りたいと思います。

 

相手の夢・やりたいことを叶える

―今どんな活動をしているのですか?

YouTubeの『sazantv』にて和食の料理番組を、5ヶ国語版制作して2009年から配信しています。現在動画数は約180本、チャンネル登録者数は約2万人のチャンネルになっています。

現在、私には夫がいます。私との結婚前、彼は両親から酒屋を継いでいました。しかし彼はただの酒屋ではなく、『お酒のある食空間』を提供したいという想いを持っていたのです。彼は酒屋の半分をキッチンスタジオにして、地域のお母さんの料理を発信しようと考えていました。だからキッチンスタジオを作り、発信する形を整えようとした時に、私がおせちを作れるので、おせち料理の番組を12本自主制作したことから、この番組は始まりました。
それに加えて、伊万里市食のまちづくりアドバイザーを担当したり、中長期インターンを実施したりしています。そうして日本の食文化を一つの軸として、私の名前である『志織』にあるように、出会った皆さんの“志”を“織”り込んで、人と人を繋げています。それこそが私の人生の役割だと思っています。



―その旦那さんとはいつ出会ったんですか?

そこターニングポイントなんですよ!いいところ聞きますね。(笑)私は当時、営業成績が年間トップの羽振りのいいキャリアウーマンでした。その頃は10年間くらい、常に彼氏がいる状態にありました。でも、38歳の時にそのときの彼氏と別れて『このままだともう二度と彼氏はできないんじゃないか』って鬱病になったんです。

その状態を打開するために、お遍路に行ったんですよ。そこで色々昔のことや将来のことを考えていた時に、ふと『独身のままだと、実家は持ち家じゃないし、老後に家がない』と思いあたりました。だから、“独身ながら”家を買ったんです。普通、女性にとって家とは、旦那さんに買ってもらうものですよね。後々気づいたんですけど、それがきっかけで、依存する生き方から自立する生き方に変わったんです。
ちょうどその時ですよ!ふらっと寄ったお酒屋さんで、働いていた今の夫に出会いました。彼は私にとっての理想の人で本当にハイスペックな人です。今まで会ってきた人の中で、彼を超える人はいないです!!

―本当に素晴らしい方なんですね。

彼は酒屋さんの3代目になる予定だったので、男性に依存するタイプの女性とは付き合うことを考えていない人でした。だけど私は、自分で家を買ったことで、すでに一人でも生きていく覚悟を持っていました。そして、彼がキッチンスタジオを作ろうとしていた時に、たまたま私が家の改装をしようとしていたので、ちょうど相手の夢を満たしていたんですよ。そうしているうちにお付き合いを始めました。人と人は、夢を満たすものがあれば一緒になれるんですね。

日本の文化を世界に発信し続ける

―貫き通してきたこだわりはなんですか?

私は日本の文化が大好きで、『日本の文化を世界に発信し続けていきたい』ということをネットがない時代から常に言い続けてきました。そうやって自分の信念を発信し続けることで、“田﨑志織”という私の名前と顔を一度で覚えてもらってきました。

自分の志を発信し続けていると“共感”が生まれます。これまでも、私に共感をしてくれた方々が、その方の周りのいろんな人を紹介してくれました。そのおかげで、タイのテレビドラマの着物のプロデュース、伊万里市食のまちづくりアドバイザーなど、いろんな仕事に関わることができているのです。そうやって、『日本の文化を世界に発信する』という理想に少しずつ近づいているんです。

目の前のことを人よりも150~200%やろう

―最後に学生に向けてメッセージをお願いします!

『自分がどうなりたいのかわからない』、『やりたいことがわからない』、だから何もできなくて動けない人がたくさんいるんですよね。

でも自分の“目指すもの”って、目の前のことをフルでやりきった時に初めて見えてくるんです。周りの人から『ここまでお前はやったのか』と言われるぐらい。だから、目の前のことに一生懸命取り組んでください。

それをやる上で、“世界基準”を意識してください。世界基準とは世界のレベルはどうなっているのか、ということです。これを考えてやるかどうかで、自分が出す成果は大きく変わってきます。これを意識しながら、目の前のことを本気で取り組んでください。私もまだまだ出来ていないので、みなさんと同じように自分の出来ることを頑張ります。

040限「田﨑志織」学
Presented by 今学びたい100人の学問

 

編集後記

日本の文化を世界に発信し続ける」という信念のもと、様々な活動をされている田﨑さん。僕と同じ地域出身の、本当に素晴らしい女性で、“1度で顔と名前を覚えてもらうコツ”や、“目の前のことにフルで取り組む”ことを経験則から学ぶことができました。同郷の先輩に学んだことを活かして、これからの学生生活において目の前のことに本気にやっていきたいです!

田﨑さんは、「日本の文化を世界に発信し続けていく」ために、タイのテレビドラマの着物をプロデュースし、現地のレセプションにも着物で参加したそうです。そのときに、バンコクにて、着物で現地集合したとのこと!僕たちには、「今日あった皆さんとパリで、着物を着て待ち合わせしましょう!」そう言っていただきました。将来、そういうことができる一人前の人間になって実際にパリで着物を着てお会いしたいものです!

2016/6/14
九州大学 浅田悠紀寛

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