Interview | 052限目「兼元千枝子」学
食とエンタメの融合に挑むパワフルママ
更新日:2017年1月16日
Lecture
兼元千枝子 Chieko Kanemoto
タバーン銀河支配人
〜自分が何を選ぶかは自由〜
兼元千枝子 Kanemoto Chieko
1980年生まれ。長崎県出身。36歳。
「陽転コミュニケーション」 扉を開ければ壁には無数のまねき猫と鮮やかなネオン。席にはなぜかシシガミ様、振り回してカクテルを作るショーが繰り広げられる…。福岡市・天神の超個性派レストラン「タバーン銀河」。兼元千枝子さんはここで食とコミュニケーションの融合に挑んでいる。一方で、夫と二人三脚で1児を育てる母親としてワークライフバランスを整える生き方には、「今したいことをする」兼元流の信念が隠されていた。
関連URL:http://tavern-ginga.com/
夢はアナウンサーだった大学生活
―子どもの頃の夢は?
小学校6年生の頃からアナウンサーを目指していました。テレビがすごく好きで、キャスターの人がニュースを読む姿がすごくかっこいいなって。少し目立ちたかった部分もあったと思います。その思いはどんどん強くなって、大学でもアナウンサーのために日本語のことを学びたくて、福岡大学人文学部日本語学科に入学しました。
―大学入学後は順調にキャリアを積めましたか?
はい、大学生活は一般的な人とは大きく異なると思いますが…。私は話す能力を磨こうと日本語学科に入学したものの、そこでは『文学』しか学べませんでした。周囲にアナウンサー志望の友達もいません。文学をやり続けるのは面白くなかったので、授業には全然出席していませんでした。要は学科選びに失敗したわけです。なので、部活とバイトを一生懸命やっていましたね。部活のために学校に行って、放課後にバイトでキャリアを積んでいた感じです。その結果なのかな、4年の3月で留年が決まり、大学を中退しました。もう1年行くためにお金を払う意味もないな、と感じて…
―部活とバイトについて教えてください!そこから感じたことは?
部活は放送研究部に所属して、映像やラジオドラマを作っていました。バイトは、ファミレスにカラオケ、コールセンター、テレビ局のカメラアシスタントもしました。バイトもすごく楽しかったし、キャリアも積めていました。でも、一方でアナウンサーになるのはすごく難しいことだと痛感したんですね。やっぱり狭き門で。それよりは、もっと門が広いレポーターになりたいと思うようになってきて、そこからずっとレポーターを目指していました。やっぱりテレビの仕事に携わりたい、テレビの近くで働きたいという思いが強くて。
コミュニケーションがくれた生き方
―その後のキャリアについて教えてください
コールセンターで8年間働き、結婚、出産しました。復職して保険会社で営業を1年半、その後独立して現在タバーンで働いています。コールセンター時代は年を重ねるうちに人材育成もやっていました。去年は人材育成のテーマで大人と若者の両者の視点に目をあてたラジオをやったこともあります。どの仕事も楽しかった。つらいことと言えば、人間関係ですかね。体質が古い職場もあって、変えるべきところもなかなか変わらない。そこで共通して足りていないのはコミュニケーションでした。対話で全部変わると思うんです。お互いの問題点をじっくり話せば。
―「タバーン銀河」のコンセプトを教えてください。
タバーンではおいしい料理と一緒に、毎日日替わりエンターテイメントショーを行っています。こ前に働いていた飲食店の「ガルグイユ」というメニューへのお客さんの反応から思いついたことです。プレートにソースと野菜で絵を描く料理なのですが、すごくお客様の話が盛り上がったんです。演出でこんなにも空間を楽しくできるんだと。店のコンセプトは「食とエンターテイメントの融合」。そこからお客さん同士が交わり、新しいコミュニケーションが生まれて弾む。今までにない飲食店です。
ゼロベースでお互いの将来を考える
―一般的に、日本には「夫は働いて、妻は子育て」という常識がありますが、兼元さんはそうではないですよね。どういう経緯で現在の形になったのか教えていただけますか?
主人とは大学で出会いました。お互い社会人になって違う職場に就いたわけですが、2人とも仕事は続けたかった。その後結婚して子供ができ、仕事や生活、お互いこれからどうしていくのかを考えないといけなくなりました。主人は当時、ホテルの厨房で料理を作っていて、拘束時間が長い仕事でした。私は保険会社に勤めていて、そこが歩合制だったので全時間フルコミットで働きたくて。2人で話し合ったポイントは、「仕事を楽しんでいるか」「将来性はあるか」。最終的には主人が一歩引いてくれた形になりますね。方向性が違うなら、お互いの意見を理解することが大切です。喧嘩をするわけでもなく、お互いが将来どうしていきたいかを考えるだけです。
―女性目線での、兼元流「働き方の理想」を教えてください。
こうして働いていますが、女性の理想はやっぱり『専業主婦』だと思っています。日本で生きていくことを考えると、子供と向き合い、その世界を広げていくことが女性には本質的にあっていると思います。でも、家の中にとどまらず、専業主婦でも積極的に社会とつながり、情報交換を行えるのが理想の姿ですよね。
お母さんたちもっと楽をしていいはず。日本では、例えばハウスキーパーは贅沢、セレブっていうイメージがあるけど、頼れるとこは頼っていい。ご近所さんが手助けることも大切ですね。地域のコミュニティの活性化が一番だと思います。それがワークライフバランスの根本的解決になるだろうと。
対自分目線。
―兼元さんの生き方・信念とするものを教えてください。
死ぬときに『生き切った』と思いたい。どうせ生きるなら楽しく生きて、昔の選択に後悔はしません。もし今死んで周りが悲しんでも、自分は『やっぱ人生楽しかったな』と言えるようにしていたいです。対自分目線で、その瞬間が楽しいかそうでないか。目の前のことに、枠を作らずに突き進みたいと思っています。
―将来不安でいっぱいの学生にひとこと。
今は世界中と繋がれるツールがあり、なんでもできる。周りにもっと興味を持ってほしいし、自分の枠を勝手に決めないでほしいですね。私は結婚と妊娠、出産を経験しました。そのときに意識したのが、ライフプランを立てること。リスクを理解した上で、したいことは仕事なのか子育てなのか、『なぜ』と問いかけながら向き合うことが大切です。客観的に自分を見てください。でも実際は、なかなか思い通りにはならないもの。和田ひろみさんの『陽転思考』という本があります。一つの事実へのとらえ方は何通りもある中で、自分が何を選ぶかは自由です。自分のいいように考えたらいいと思います。
052限目「兼元千枝子」学
Presented by 今学びたい100人の学問
編集後記
お店入るときに思いました。「タバーン銀河、何この店!!」でもそこは、エンターテイメントで客と客が互いにまじりあうための最適な空間でした。そこには兼元さんの魂が注ぎ込まれていて…っていう異空間での取材でしたが、また行きたい!兼元さんは日本において先陣を切ってワークライフバランスの課題に取り組んでおられる方だと思っており、女性の働き方として非常に興味深いと思いました。兼元さん、ありがとうございました。
2016/8/18
九州大学 井上 聡太
関連記事はコチラ
069限目「甲斐光輝」学
1987年生まれ。30歳。大分県出身。地元の高校を卒業後、大好きな料理をするために調理師の専門学校に入学するも、4か月で中退。様々な仕事を転々としたのち、偶然の出会いがきっかけで現在の会...
036限目「大橋直誉」学
大橋直誉 Naotaka Ohashi 1983生まれ。北海道出身。 地元の調理師学校卒業したのち、2006年、東京の「レストランひらまつ」で2年間勤務。2011年渡仏し、ボ...
025限目 「松本英揮」学
NPO法人H-imagine代表の松本英揮(まつもとひでき)さん。これまでに131か国を訪ね、16万キロを自分の足と、自転車を使って、世界の環境問題の現状を肌で感じてきた。現在は地元であ...