今学びたい100人の学問

Interview | 071限目「岩永真一」学

テンジン大学の学長にフリーランスの生き方を学んでみた!

更新日:2018年10月22日

この記事をシェアする

Lecture

岩永 真一 iwanaga shinichi

1981年福岡市早良区出身。大学卒業後、広告業界での営業・企画を経て2009年に独立を果たす。
学生時代にNPO法人グリーンバードに参加を始め、福岡打ち水大作戦やWe Love 天神協議会に参画する。2009年の独立をキッカケに福岡市共働事業提案制度に「福岡テンジン大学」を提案し、2010年9月に福岡テンジン大学として開校し学長も務める。学長としての顔以外にも、集客・販売促進の広告プロデュース、九州大学非常勤講師や小中学校での講師、男女共同参画やまちづくり・地域づくりでの講師、ファシリテーターなどを行っている。2012年から福岡市総合計画審議会委員、2013年4月より北九州市立大学の特任教員も務める。

関連URL:https://tenjin-univ.net/teacher/2380/

 

グリーンバードとの出会い

現在の活動に至った経緯をお伺いしたいです。

ほかの人と同じように大学3年生の後半ぐらいから就活を始めました。
面接まで進めばほぼ無敗だったんです。
でもなぜか社長面接でことごとく落とされてしまい、それがずっと続いて。
ラスボスまで行くのに倒せないゲームみたいな(笑)。
これがかなり精神的ダメージになって。

それに追い打ちをかけるように家族も崩壊してしまって。
もう人生のやる気を失ってしまったんです。そして就活をやめました。

グリーンバードという活動をされていたと伺ってるのですが。

グリーンバードは天神を朝から掃除するボランティアです。
東京からはじまり、福岡まで広がっています。

グリーンバードを始めたきっかけは木下さんという人物との出会いです。
大学四年生のころ、あるイベントのバイトの打ち上げで出会ったのが、
そのイベントの統括をされてた木下さんです。
大学生以上に大学生的な飲み方をする木下さんたちに最初は戸惑いましたが、
次第にどんな仕事をしているか気になって聞いてみたんです。
すると仕事を一度見に来いとおっしゃたので後日行ってみると、
あれほど騒いでいた木下さんが朝から天神の掃除をしてるんです。
こんなむちゃくちゃな大人がいるかと。
それから、それまでボランティアなんか無縁だった僕がグリーンバードに参加するようになりました。

グリーンバードを始められた時期は、就活をあきらめ、バイトをされていたとのことですが、不安はありませんでしたか。

ありました。仕事をしていないことはもちろん不安だったんですけど、
それと同時に周りの友達が職場で新たなコミュニティを作っていく中で、
自分のコミュニティがないことにももやもやしていました。

でもグリーンバードであることに気づかされました。
グリーンバードは平日の朝8時ぐらいから掃除を始めるんですけど、
普通の人にとっては通勤時間なわけです。
忙しそうに歩く人たちはみんな目が死んでるように見えました。
このとき自分は大した仕事をしてるわけではないけど、
とてもさわやかな朝を迎えてると気づいたんです。

木下さんたちと朝の清掃のあと10時くらいまでカフェで朝食を取るのはめちゃくちゃ楽しくて。
それから仕事に出かける木下さんたちの働き方はとても面白いと感じました。
グリーンバードはだんだんと僕の居場所になっていき、
もっと深くかかわりたいと思うようになりました。

楽しかったし世のためになっていると感じていて、
もっと広めようとかきちんと関わりたいとか思ったので手伝い始めるようになったんです。
そこからどんどんのめりこんでいきました。

つながりが仕事へ

現在の活動である”テンジン大学”を始める前に2回ほど就職されてますよね。

グリーンバードのHPを作るようになって、
広告業の営業をやりたいと思うようになり、ある広告会社に就職しました。

はじめは電話とファックスだけの仕事で、
自分は何か世の中に生み出してるのかという疑問がありました。
もちろん新しく依頼されて何かを作るという部門もあって何がいいかなと
考えたときに思いついたのがインターネット広告でした。

とりあえずパンフレットとかの紙のチラシを作る仕事はライバルも多いとわかっていたので、
当時グリーンバードでやっていたHPとかメールが目を向けたことがきっかけです。
そんなわけでこの分野を開拓してやると意気込んでいるときに、
たまたま会社からHP制作の仕事を任されました。

そこからインターネット広告を勉強し始めました。
最初は顧客と話しながらHPを作るということがわからなかったので
HP制作を専門としている会社のやり方を学ぶことから始めました。

ノウハウを学んだことでインターネット広告の顧客が取れるようになりました。
そうやっていくうちに自分のしたいこととやれることが
少しずつ増えていって楽しくなっていった矢先に、違う会社への出向が言い渡されて。

それが嫌だったので一年足らずでその会社を辞めることにしました。
その後木下さんのところで働かせてもらいながら、
グリーンバードもしつつ、仕事を探していました。

その時、前の会社で働いた1年という期間でできた
外注先やデザイナーの知り合いのつてだけで仕事がもらえることに気づきました。
それだけでなくグリーンバードのつながりから、
市役所の人や西鉄の人からも仕事がもらえたんです。

HPの作成やちらしが作るといういうことが買われたんだと思います。
自分の後ろに入り人脈やネットワークがあって仕事が発生するんだと強く感じました。
そんな感じでもっとインターネット広告を専門でやっていこうと
思い始めたところにある会社から声をかけていただいてがっつりHPを作り始めました。

その傍ら、その会社がやっていたインターネットメディア、
天神経済新聞というんですけど、の記者としてたまに記事を書いていました。
当時Yahoo!が絶大な影響力を持っていて、
天神経済新聞みたいな小さなメディアが注目を浴びるにはどうすればいいか考えたとき、
Yahoo!はもちろん雑誌や新聞が取り上げていないことを
記事にすると効果があるに違いないと思い、その目線からネタを探し始めました。

すると自分の記事がきっかけとなって取り上げられるようなことが出てきたんです。
ネタ元になっていたんです。
それから天神経済新聞の記者やグリーンバードも続けていたこともあって、
会社ではなく自分に相談が舞い込むようになってきて。
また外注先もますます増えてのでこれ自分でやったほうがいいんじゃないかと思って独立しました。

テンジン大学の設立

長い道のりを経てテンジン大学を創立されたんですね。どんな思いからこのテンジン大学を作ろうと思ったのですか。

そもそも僕が独立するきっかけとなったのは本業で会う人脈や仕事だけでは
絶対に知り合わないような人たちと、グリーンバードや天神の街づくりなどからつながり、
そこから仕事が発生すると気づけたことだったんです。

また人との出会いでいろんなスキルも身に着けられました。
でもこれって普通の人には当たり前じゃないんです。
だからもっと多種多様な人が集まれる場所があったら自信の良さや
特徴みたいなものを活かしながら仕事や社会に貢献する人が出てくるんじゃないかと思い始めました。
そんな時たまたまグリーンバードのつながりで東京で渋谷大学があることを知り、
じゃあテンジン大学も作ってみようとなり今に至ります。

僕が就活を失敗して絶望したところから始まって、
本業以外のことにも興味をもってそれを楽しくやっていたら
独立するという今につながった経験から、
社会からこぼれてしまった人もつながりとか好奇心とか
自分を成長させたいという思いから何とでもなると気づけました。
つまり、テンジン大学はその受け皿としての場所になってほしいなと思い作りました。

071限目「岩永真一」学
Presented by 今学びたい100人の学問

 

編集後記

テンジン大学の創立までの経歴だけで一時間も質問攻めをさせていただいたのですが、それまでの人生が天神大学に詰まっているなと感じました。僕はつながりが仕事を生むという岩永さんの想いがとても素敵だと思いました。今度、実際に天神大学の授業に参加して新たな出会いを探しに行ってみたいです!

この記事をシェアする

関連記事はコチラ

74限目「SASSEN」学

福岡県北九州市出身 大学卒業後は一般就職し、その後次世代デジタルチャンバラ「SASSEN」を生み出す。現在は株式会社SATSUZENの代表取締役兼全日本サッセン協会代表。...

2021/04/18

073限目 「志藤大地」学

1993年生まれ 27歳 京都出身 大学時代、アメリカに宇宙工学を学びに行き、カンボジアにボランティアをしに行き、世界一周の旅をし、学生団体を立ち上げるなど様々な経験をする。 ...

2021/03/06

057限目「黒木翔平」学

1992年生まれ 宮崎県出身 熊本大学の文学部に在学中、ワーキングホリデー制度を利用して約1年ドイツへ留学。 日本に帰国後は、主に九州の学生を対象として留学サポートを行う学生団体...

byぺの
2017/03/15