Interview | 049限目「冨永ボンド」学
世界にたった一人のボンドアーティスト 新たな作品を生み出すコツを学んでみた
更新日:2016年11月24日
Lecture
冨永ボンド Bond Tominaga
アーティスト
~夢は生きがい~
1983年生まれ 福岡県出身
福岡デザイン専門学校でファニチャーデザインを専攻。26歳でBond Graphicsを設立し、現在は『BOND DESIGN』『冨永ボンド』『BOND STORE』『Art Studio ボンドバ』4つの事業を運営している。活動拠点も佐賀県に移し、アーティスト活動と並行して、西九州大学リハビリテーション学部で教職員も務める。創作テーマ「つなぐ(接着する)」に基づき、作品は全て木工用ボンドを使って描く。画を描く作業の大切さをより多くの人に伝えるため、「即興絵画パフォーマンス」や「アートセラピー」「アートでまちおこし」「世界のアートフェス挑戦」と幅広い分野で活躍中。
今回取材させていただいたのは、世界にたった一人のボンドアーティスト、冨永ボンドさん。アートや色彩に関する教育は受けたことがなく、ボンドさんが描く作品は、全て独学で生み出されたものだそうです。また、医療の分野でもアートセラピー体験の講師として活躍され、特に精神医療の現場で活動されています。この独特な世界観は一体どのようにして生み出されてきたのか、これまでボンドさんの歩んできた道を語っていただきました。
関連URL:http://www.bondgraphics.com/
飽き性と好奇心
―学生時代のことを教えてください
勉強が嫌いで不真面目でした。でも、昔から好奇心は人一倍強くて『絶対に何かやりたい』っていう気持ちが常にあったように記憶しています。中学のころ、パソコンの授業を受けてからパソコンが好きになりました。それをきっかけに、情報処理を勉強したいと思い、商業高校に進学しプログラミングや簿記を学んだんです。でも、すぐに飽きちゃって。
そこで次に興味を持ったのが家具。毎週末、部屋の模様替えするくらい、昔から部屋の模様替えが大好きだったんです。家具が好きだったんですね。そこで『家具のデザイナーになりたい』と思うようになり、福岡デザイン専門学校のファニチャーデザイン専攻に進学しました。
―その後どういう経緯で今に至ったんですか?
デザイン専門学校を卒業し、大川市にある家具メーカーに就職しましたが、またすぐに飽きて1年くらいで辞めちゃったんです。当時は、音楽も好きで音楽イベントやクラブにもよく行っていたんですけど、そこで出会った先輩に『イベントを一緒にやらないか』とお誘いを受けて、僕がビラのデザインを作ることになったんです。それまでグラフィックデザインを学んだことが一度もなかったので、かっこいいチラシをひたすら集めて、独学でデザインを勉強しビラを作り始めました。
11年前からずっと、今も続いている“マウント”っていう90’sヒップホップの音楽イベントがあります。そのイベントのビラのコンセプトが”山積み”で、『マイクやレコード、音楽にまつわる機材やスピーカーなどが山積みになっているデザインを作ってくれ』という指示を先輩から受けました。それで、機材などの画像データを収集し、切り抜いて、コラージュしました。コラージュというのは、様々な画像を組み合わせて作る一種のデザイン技法のことで、マウントのデザインをきっかけに僕はコラージュデザインのスキルが驚くほど上達しました。その頃は、昼間は福岡の印刷会社で仕事をしていましたので、仕事から帰ってきたら家でビラのデザインを作る、みたいな生活で、寝る時間はほとんどない程にグラフィックデザインにのめり込んでいましたね。
―ボンドという名前の由来は?
次第にグラフィックデザインの案件を多くいただけるようになり、独立開業しました。もちろん個人事業でしたが、活動名というか『会社名』は必要で。ネーミングを決めるときに『コラージュって糊でくっついているみたいだな』って発想から、接着剤の代名詞のボンドを取り『Bond Graphics』って屋号で活動を始めたんです。
しばらくは音楽イベントのポスターやCDジャケットのアートワークなど、音楽関係のデザイン案件ばかりを制作していました。次第にもっと大きな案件、東京や大阪から福岡に招へいされる有名なアーティストのアートワークを手掛けたいなと思うようになったんです。そういったビッグネームのアーティストと繋がるには、いちグラフィックデザイナーでは難しい。ならば、自分もイベントの出演者になればいいのだと考えました。でも、僕はDJもダンスもラップもできなかったから、ライブペイントをやることにしたんです。
ただ当時26歳で、それまで絵なんか1回も描いたことはなかったんです。美大に行った人に画力では絶対叶わないなと思っていたので、『ちょっと変わった画法で描いてみよう』と考えました。そこで、社名の“ボンド”を取って『ボンドに色を混ぜてやってみようか』って。でも、描き方も何も知らないから、ただただ塗料で色をベタ塗りして、面を作って、その周りをボンドで縁取るくらいしか思いつかなかったんです。その思い付きの画法が今もずっと継続されていて、今ではボンドアート®というひとつの画法を確立し、アートセラピーにも活用できるといったコンセプトとエビデンスも得ることができました。実は会社の名前が随分先にできていて、『冨永ボンド』という作家名で活動を始めたのは、かなり後なんです。
アートセラピーとしての説得力
―精神医療の分野でアートセラピー体験会を開催するとき、どんな思いで活動されていますか?
一番のキッカケは家族です。幼少の頃から精神障害という病気が身近にありました。病気のせいで家族がバラバラになっていくのが辛かった。精神障害や発達障害や認知症って、身近にある病だし、誰にでも発症する可能性がある病です。この病に対しての知識や教養がもっと一般的に広まれば、多くの人が正しい対処をするようになり、苦しむ人を減らすことができるのだと信じています。
そのために、いま自分にできることは何か。それは『自由なアート』を広めること。アートがセラピーだという説得力を得るために、西九州大学に教職員として勤め研究を行っています。アートの分野そして精神医療の分野を豊かにするため、段階的にこれは必要なことなんです。つまり、ボンドアート®に医学的なエビデンスが欲しいのです。
―よくメディアで『アートの土壌をあげたい』と発言されていますが…
敷居を下げて、土壌を上げたい。日本における自由なアートをもっと大衆向けに一般化したいと考えています。作家活動に精を出すことで、アートの分野にも精神医療の分野にも良い影響を与えることができると確信しています。
『芸術的』と言われるものには2種類あります。1つは日本が世界に誇る『技術』。美大・芸大に入学し、デッサンや画法、歴史を学び、その文脈から創り出される、一般的に『うまい!』と言われるような作品のことです。もう1つは、人が義務教育や社会に出て様々な経験する中で少しずつ失われていくもの、『純粋さ』です。よく『子供の描く絵はすごい』って言いますよね、大人には描くことができません。あれは、純粋無垢な心であるからこそ描ける画なのです。その純粋な感性をそのまま持ち続けることができている人が、いま精神障害者と言われている人たちの中にいるのではないかと思います。僕は作家として、その人たちとその人たちの家族を支援しなくてはならない。日本という国で豊かに生活するために。
―影響力を与えるために、これからどういう精神と熱意を持っていきたいですか?
作家として、作品はずっと作り続けたいですね。『金額』という評価が作品につくことはアートビジネスを考える上でとても重要なことです。さらに高い評価を目指したいと思っています。そして何より『プロセス』が大切。作品の評価はもちろん大切だけど、それ以上に作品が出来上がる行程、つまり『作業』が一番大切です。NYとパリの挑戦プロジェクトも、ボンドバ2周年記念イベントも、多久市のウォールアートプロジェクトも、プロジェクトが起ち上がって終わるまでの全過程をSNSなどで公開しながら取り組みました。これが評価よりも大切だと言いましたが、プロジェクトも同じで最終的に目標が達成するかしないかはどちらでも良いんです。『目標に向かって一生懸命取り組んだ』という事実ひとつひとつが大切。もし目標が達成しなくても、きっとその時点でもう次なる目標ができているものです。
夢を叶える方法
―最後に学生へメッセージをお願いします。
情熱!何事も情熱です。夢や目標を持たない人は多くいます。『今が一生懸命だから』って。もちろんそれも良い。でも、僕はゴールを一度見据えてみることは必要だと思います。夢について言えることが3つあります。
①夢は必ず変わるということ
②夢は一人で叶えることはできないこと
③夢は叶えなくても良いということ
何度も言うように、大切なのはプロセス。夢に向かって何に一生懸命取り組み、どれだけの情熱を注いだか、これが一番大切。叶わなくても叶えなくても良いんです。一生懸命な人には、夢は自然と見つかります。今は無いって人も、したいことを頑張っていれば、いずれきっと見つかるはず。目標って結構身近にたくさんあるじゃないですか。例えば『テストで良い成績とるぞ!』とか『頑張って合格するぞ!』とか『今度こそ告白するぞ!』とか『バイトで○○○円貯めて○○○買うぞ!』とか。夢ってその日常の延長線上にある大きなものじゃないかな。
それでは、夢を叶える方法を3つ教えます。
①夢を口に出して言うこと
②周りの人に感謝すること
③決して諦めないこと
皆さんの夢が叶うことを願っています。ちなみに僕の夢は、世界一影響力のある画家になって医療の分野を支援すること。生涯をかけて追い続けます。なぜなら『夢は生きがい』だから。
049限目「冨永ボンド」学
Presented by 今学びたい100人の学問
編集後記
1年半前にキャナルシティで、ボンドさんの作ったiPhoneケースを目にしたのが、ボンドさんの作品との出会いでした。ボンドさんの生み出す独特なデザインと色遣いにはかなり目を惹かれました。今回、取材をするにあたって、ボンドさんのTwitterやブログを拝見したのですが、そこを通して発信されるボンドさんの哲学や価値観、また成果報告に関してもそうですが、どれもボンドさんに対する興味がますます湧くばかりでした。取材を通して、アートセラピストとしての考えや目標を聞くこともでき、1日1日を一生懸命、情熱を持って生きることの重要性を感じました。これからも、彼のアートの一ファンとして、彼の生み出す新たな作品と芸術シーンに注目していきたいと思います。
2016/08/09
ぺの
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