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Interview | 063限目「あなたののぶゑ」学

LGBTの存在をもっと身近に LGBT啓発イベント九州レインボープライド代表に学んでみた

更新日:2017年7月3日

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Lecture

あなたののぶゑ Anatano Nobue

九州レインボープライド代表
〜抜苦与楽の精神で〜

1977年生まれ 宮崎県出身
九州レインボープライド代表。
宮崎で幼少期を過ごし、思春期の時に自分がゲイであることを自覚する。高校卒業後に専門学生として福岡に移り住む。アパレル業界に就職し活躍するが、30歳の時に、ゲイを隠すことに耐えきれなくなり告白。その後アパレル業界から離れ独自でウェディングサポートの団体を設立し、現在は九州レインボープライド代表としても活動中。

関連URL:http://qrp8lgbt.wixsite.com/qpr4lgbt

 

多くの人にLGBTの存在を知って欲しい

―現在の活動を教えてください。

今は、メインの活動として九州レインボープライドというイベントを主催しています。これは、LGBTの啓発イベントで毎年11月に福岡市の冷泉公園で開催しています。昨年(2016年)は6000人の方にお越しいただきました。パレードをLGBTの方もそうでない方も一緒にすることで、より多くの人にLGBTのことを知ってもらおうと思い運営しています。2017年である今年は8000人の来場者数を目指しています。

―レインボープライド以外に活動していることはありますか?

最近だと小学校や中学校にも講演活動で伺ったりしています。その他にも高校や大学にお邪魔することも多くなりました。パレードのイベントの際は、専門学校の学生とコラボしてTシャツを作成してもらったり、模擬授業を行ったりもしました。
地域の方々やママさんたち、障害者団体とのコラボ、キッズダンサーたちや外国人などなど私がコラボする方達は若い人からお年寄りまで、国籍も問いません。LGBT当事者は年齢や国籍に関係なく存在します。年齢、学歴、国籍、肌、性別問わずに存在するLGBTの問題だからこそ、様々な切り口からより多くの人にアプローチしていくことが重要だと考えています。

隠さなければ辛さはなくなる

―どんな学生時代をすごしましたか?

出身は宮崎で高校までは地元で過ごしていました。思春期の時に自分がゲイであることに気づきました。当時テレビ番組にニューハーフの方がでてたのですが、私の親はそれをみて「気持ち悪い」と言っている環境…。精神的にすごく窮屈な思いをしていて早く家を出たいと学生生活は過ごしました。高校を卒業後、家を出たいという思いだけで福岡のファッション系の専門学校に入学し、歌に挑戦してみたり、ファッションショーを開催してみたりと当時からいろんなことにチャレンジすることは好きでした。

―どんな専門学校ではどんな学生だったんですか?

基本的には社交的ではなかったです(笑)。社交的ではないものの、自分が好きなことに没頭するのは好きだったので、先ほども言ったようにファッションショーは企画・運営に携わってました。もちろん学生ということもありうまくいかないことも多かったです。当時は尖った性格だったので、敵が多かった気もします。専門学校を卒業後は、地場のアパレルメーカーに就職しました。

―自分がゲイであることを告白したのはいつだったんですか?

私が30歳の時です。専門学校を卒業後にアパレルで企画・製造・販売を経験し、最後はスーツメーカーで販売を行なっていました。28歳くらいの時からゲイであることを隠すのがきつくなってきて、喋り方や動作も男性らしくはありませんでしたので(笑)。当時言葉使いがきつかったのは、女っぽい喋り方を隠すためでもありました。そんな中、ゲイであることを告白し、31歳の時には自分でアロマヒーリングの癒しの場である『ブレスルーム』を開業しました。ゲイを隠し続けた辛さから解放された嬉しさを今でも覚えています。

LGBTの存在を広めていきたい

―ゲイであることを隠さなくなってからはそれ以前とで変化はありましたか?

ゲイをオープンにしてからは、いろんなことが凄まじいスピードで動いていきました。31歳の時にアロマヒーリングなどの癒しの場を提供すべく自分で”ブレスルーム”を開業。また彼と出会い、2年ほど過ぎた時に結婚式をしたいとアプローチしました。その流れもありハワイにいた友人に結婚式を仕事にすることをアドバイスされたのです。LGBTの方々を対象にした結婚式の仕事って福岡にまだないし、”自分がしたいのだから他にもしたいと思っている人がいるかも”という思いで、ウェディングのサポート団体を設立しました。

―レインボープライドをやろうとしたきっかけは何ですか?

実は大学生のプロジェクトをお手伝いしたのがきっかけでした。2014年に福岡大学の学生が「若者挑戦プロジェクト」という活動でレインボープライドを九州でも開催できないかと挑戦していたのです。その思いに胸が熱くなりお手伝いをしていました。1回目は1000人もの参加者が集まったのですが、目標は5000人に設定していたので達成はできませんでした。1回目の中心メンバーの多くがその年卒業していき、運営する人がいないということで私が新しい団体として2015年に引き継ぎました。2015年には1回目の学生の思いを引き継いで5000人という集客目標でイベントを開催しました。これからも多くの人を巻き込んだ素敵なイベントとして継続させていきたいと思います。

和を重んじて寄り添う

―のぶゑさんがもっている信念や軸を教えてください。

「抜苦与楽」という言葉を知っていますか?これは仏教の言葉で”苦”しみを”抜”いて、”楽”を”与”えるという言葉の通り慈悲を表現する言葉で私が大事にしている言葉です。私は、自分がゲイのことで苦しんでいた時期に自己肯定感の大切さを身を持って知りました。その経験から、人と話す時、接するときは、和を重んじて寄り添うような気持ちで接しています。

―最後に学生に伝えたいメッセージをお願いします!

若いうちに思い通りになるなんて思わないこと。10代20代のうちなんて、経験がない中で動いているのだからうまくいかないことが続くのなんて当たり前なんです。だから思い通りにならないから諦めるのではなくて、突っ込み続けてください。それを継続していって30代にやっとうまくいくようになるのです。ぜひ諦めずに突っ込み続けてください!

063限目「あなたののぶゑ」学
Presented by 今学びたい100人の学問

 

編集後記

和を重んじて寄り添うように接するという言葉を本当に理解できるほどのぶゑさんと話している間はすごく安心し、そのような雰囲気で今回は取材をさせていただきました。世界的には少しずつオープンな文化を受け入れられるようになっているLGBT。個人的にも社会的にも日本という単位で見るとまだ受け入れ態勢が整っていないように思えます。個々人が少しずつでもいいので、目の前の人を受け入れる気持ちをもって接することが大事です。素敵なインタビューをさせていただきました。ありがとうございます。

2017/3/27
九州大学 松口健司

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